五十鈴

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車体呼称のあれこれ

1.はじめに1946年に創設された西日本車体工業は2010年の解散まで、多岐にわたりバス用ボデーを製造し日本全国へと納入していました。これらは国内主要メーカーからシャーシ供給を受け、その上にボデーを架装する、架装屋として操業しユーザーのニーズに応えるため様々な形状のボデーが用意されていました。これらのボデーには1966年のフルモデルチェンジ以来○○MCという二桁の数字とMCからなるモデル番号が付与されることとなり、生産終了までモデルチェンジごとにつけられていました。本項ではこのモデル番号及び車型の呼称について解説していきます。2.モデル番号○○MCのモデル番号は1966年の創設以来2回目となるフルモデルチェンジから路線型につけられ最終的にすべての車型に拡大されました。このモデル番号は1983年登場の58MCを除きすべて西暦下二桁から取ってつけられており、1966年のモデルチェンジでは66MCとなりました。いわゆる「かまぼこ」です。その後1978年にモデルチェンジを行い78MCへと変わりました。「はんぺん」などで親しまれる車体です。これらはマニアの間で42MC 53MCなどと呼ばれていることがありますが、先述の通り1983年登場の58MCを除きすべて西暦下二桁から取る決まりになっているため、正式名称ではありません。1982年スケルトン構造の観光車体を開発し、生産を開始。C型となりましたが、この初代C型にはモデル番号が付かず単にC型と呼ばれることになりました。1983年 スケルトン構造の本格生産を開始。モデルチェンジを行い58MCとなりました。現在の基本設計が完成した年でもあります。 この58MC 西暦下二桁の83が「破産」となることから例外的に和暦から取り58MCとなったようです。このことは、いくつかの文献にも記載されているようです。また全車型一斉のモデルチェンジはこの時が最後となりました。1988年日産ディーゼルと共同開発によりオリジナル車体の製造を開始(日デオリジナル 日産中型 西工SRなどと呼ばれる大型一枚ガラスの新形状ボデー)その後スーパーハイデッカーなどのボデーが開発され生産を開始しましたが、観光車は1992年に初代C型からフロントが丸み帯びたデザインの92MCへとモデルチェンジを行いC型SD型に初めてモデル番号がつけられました。58MCとして継続生産されました。1996年 58MCのマイナーチェンジとして96MCの生産を開始。大型路線車では最後のモデルチェンジです。2002年に観光型ボデーをモデルチェンジ 02MCに変更。2007年 中型路線ボデーをマイナーチェンジ07MCに変更。西工最後のモデルとなりました。整理をすると路線型は66MC→78MC→58MC→96MC→07MC観光型は初代→92MC→02MCという順で登場しています。ただし路線型の最後に登場する07MCは中型のみで展開されたモデルで、大型は96MCが最終型になります。○○MCは上記のものが正式なもので、ネット検索などでたまに見かける42MC,53MC,57MC,88MC,90MC,98MC,05MCなどは存在しないということになります。このモデルチェンジはフレーム骨格構造の変更を意味していると捉えることができます。バンパーやライトなど外装パーツの変更はモデルチェンジとして扱われておらず、設計変更や灯火規制対策による部番変更に他ならないということになります。存在しないMCでメジャーな例としては90MCが上げられます。 1990年にE型及びS型はフロントバンパーが大型の一体成型となり、それまでグリル部とバンパーが分離していたものとは大きく印象が変わりました。同時にリアのバンパーも変更されています。ただしこれは部品が変更となっただけでモデルチェンジではなく1996年まで58MCとして生産されています。外観が大きく変わったことでモデルチェンジしたとマニアに捉えられてしまったようです。

B型のタイプII 関東自動車編

日デ中型ロングのJPシリーズには様々なボデーバリエーションが用意されていましたが、その中でも当時の京王帝都電鉄へ納入されたB型は異彩を放っていました。これはB型に日デオリジナルスタイル(西工SR)のバンパーをつけたもので、マニアの間では「京王顔」と呼ばれ親しまれているものです。正式な名称は58MC「Bスタイル タイプII」当初、京王帝都電鉄向けの専用仕様でしたが、後にカタログに掲載され他社でも選択可能となり、京王以外では1996年に大阪の水間鉄道と大川自動車。1997年(96年度)に横浜市交通局がKC-JPで納入されています。また、中型のRMでもごく少数納入されており、神戸電鉄(当時)と大阪市交通局が該当します。余談ですが、当時の京王は製造メーカーに対し一定の影響力を有していたようで、この京王顔以外にも富士重工R18型E(8E)で通常よりも丸みを帯びたフロントマスクになっているものや、「チョロQ」で親しまれる日デのRNも京王からの注文によるものです。西日本鉄道が電車代替バス用としてU-JM210GTNをストレッチして製造していたものを1993年スペースランナーJPとして日産ディーゼルから正式に販売が開始されてから2年後、1995年に京王顔は初めてその姿を現しました。 当時首都圏では初めてとなる中型ロングとして納入されました。 そしてこれは西工製バスが本格的に首都圏へ進出する契機となりました。(西工製バス自体はP-RB80Gが横浜市交通局に納入された実績を持つ)また、日デから正式に販売されることとなり、富士重工のR18型E(8E)が選択できるようになったことから、ヒットセラーとなり排気ガス規制強化によってモデルチェンジしたKC-JPでは納入先のおよそ8割が首都圏事業者となりました。さて、この「京王顔」であるB型タイプIIは先述の通り58MCであり、横浜市交通局の例を除いてすべて1996年以前の製造であるため、当然経年により代替されています。 今でこそ京王中古はそこら中溢れかえっていますが、当時はそれほど出回ることもなく特に全体数の少ない西工製は国内移籍と輸出が半々とあまり多くありません。 KC-JPに至ってはすべて輸出か解体処分となっています。また、大阪の水間鉄道と大川自動車に在籍していたタイプIIも輸出されており、現存車の希少性がお分かりいただけるかと思います。そんな中、栃木県に本拠地を置く関東自動車では西工富士ともに京王及び横浜市から多数が移籍している貴重な例であり、かつ本家京王の西工U-JPとしては国内に残存する個体すべてが集約されている事業者になります。 本項ではその「京王顔」を大まかなバリエーションとして3台を紹介するとしましょう。