Eの廉価版ニーズに合わせ様々な形態のボディから込め細かく仕様を選択できるのが西工の強みだと思います。そんな西工製車体でも異彩を放つのが58MC E型の廉価版です。今回はそんなバスを取材する機会を得ることができましたので紹介していこうと思います。2018.03.22 16:07
UA45系とRA27系のボデー1996年の96MC登場からUAは富士重工製R17型ボディと西日本車体工業製の96MC系ボディの二種類が用意され、どちらか一方を選択することができました。2003年に富士重工がバス事業から撤退すると西日本車体工業に一本化され、その後UDのバス事業撤退まで続きます。2004年にはRA273系が登場し、路線型は全てスペースランナーに統合されると同時に96MCはボディの設計が見直されています。今回は様々な架装例とともに、UA系とRA系の車体ではどのような違いが生まれているのかをご紹介します。なお、予め断っておきますが記事の中に前面表示機がフロントの上部にはないE型が登場しますが、今回の題材ではE型とB型での違いはないので無視できるものです。2018.02.15 05:52
横浜市消防局神奈川県最大の都市、人口370万人を超える横浜市。広域な行政区域の中には様々な地形があり、市内を管轄する消防では多種多様な機材が配備されています。その機材は我々バスマニアから見ても非常に面白いもので、世界で1台だけのバスが2種類存在しています。そのバスが西工製であることはもはや説明する必要もないことでしょう。2018.01.07 11:46
UDの中型路線バス日産ディーゼル(以下:UD)の中型バスであるスペースランナーはRB,JM系とRM系で別れており、それぞれ西日本車体工業製と富士重工業製を架装していました。 1995年の排気ガス規制強化によりKC-世代へとシフトすると同時に路線バスはRMへ統合され、RMにも西工製が登場しました。以降2003年3月の富士重工業撤退まではどちらかが選択できるようになり、富士重工業のバス事業撤退後は当然ながら西工一択となり最終型まで続きます。今回はワンステップでKK-RM以降を揃える、小湊鉄道で撮影する機会を得ることができましたのでボディの移り変わりと共に三世代のRMを紹介していきます。KK-RM252GSN2018.01.02 04:07
東京都交通局 大型車(未完成)2000年度のG代CNGノンステップを皮切りに東京都交通局へ納入されるようになった西工製バスは、2008年度のS代までその数258両となり都内随所で見かける事ができるようになりました。これらは一部を除き年代ごとに仕様が変わっておりバライティーに富んでいます。今回は現在も活躍する大型車に焦点を当てて紹介していこうと思います。2003年度(L代) KL-UA452KAN改富士重工のバスボデー撤退後に導入されることとなったため、自動的に西工製となりました。G代 H代 K代とRM JPといった中型で既に西工製バスは存在していたものの、大型車はこれが初となりました。2017.11.27 09:36
車体呼称のあれこれ1.はじめに1946年に創設された西日本車体工業は2010年の解散まで、多岐にわたりバス用ボデーを製造し日本全国へと納入していました。これらは国内主要メーカーからシャーシ供給を受け、その上にボデーを架装する、架装屋として操業しユーザーのニーズに応えるため様々な形状のボデーが用意されていました。これらのボデーには1966年のフルモデルチェンジ以来○○MCという二桁の数字とMCからなるモデル番号が付与されることとなり、生産終了までモデルチェンジごとにつけられていました。本項ではこのモデル番号及び車型の呼称について解説していきます。2.モデル番号○○MCのモデル番号は1966年の創設以来2回目となるフルモデルチェンジから路線型につけられ最終的にすべての車型に拡大されました。このモデル番号は1983年登場の58MCを除きすべて西暦下二桁から取ってつけられており、1966年のモデルチェンジでは66MCとなりました。いわゆる「かまぼこ」です。その後1978年にモデルチェンジを行い78MCへと変わりました。「はんぺん」などで親しまれる車体です。これらはマニアの間で42MC 53MCなどと呼ばれていることがありますが、先述の通り1983年登場の58MCを除きすべて西暦下二桁から取る決まりになっているため、正式名称ではありません。1982年スケルトン構造の観光車体を開発し、生産を開始。C型となりましたが、この初代C型にはモデル番号が付かず単にC型と呼ばれることになりました。1983年 スケルトン構造の本格生産を開始。モデルチェンジを行い58MCとなりました。現在の基本設計が完成した年でもあります。 この58MC 西暦下二桁の83が「破産」となることから例外的に和暦から取り58MCとなったようです。このことは、いくつかの文献にも記載されているようです。また全車型一斉のモデルチェンジはこの時が最後となりました。1988年日産ディーゼルと共同開発によりオリジナル車体の製造を開始(日デオリジナル 日産中型 西工SRなどと呼ばれる大型一枚ガラスの新形状ボデー)その後スーパーハイデッカーなどのボデーが開発され生産を開始しましたが、観光車は1992年に初代C型からフロントが丸み帯びたデザインの92MCへとモデルチェンジを行いC型SD型に初めてモデル番号がつけられました。58MCとして継続生産されました。1996年 58MCのマイナーチェンジとして96MCの生産を開始。大型路線車では最後のモデルチェンジです。2002年に観光型ボデーをモデルチェンジ 02MCに変更。2007年 中型路線ボデーをマイナーチェンジ07MCに変更。西工最後のモデルとなりました。整理をすると路線型は66MC→78MC→58MC→96MC→07MC観光型は初代→92MC→02MCという順で登場しています。ただし路線型の最後に登場する07MCは中型のみで展開されたモデルで、大型は96MCが最終型になります。○○MCは上記のものが正式なもので、ネット検索などでたまに見かける42MC,53MC,57MC,88MC,90MC,98MC,05MCなどは存在しないということになります。このモデルチェンジはフレーム骨格構造の変更を意味していると捉えることができます。バンパーやライトなど外装パーツの変更はモデルチェンジとして扱われておらず、設計変更や灯火規制対策による部番変更に他ならないということになります。存在しないMCでメジャーな例としては90MCが上げられます。 1990年にE型及びS型はフロントバンパーが大型の一体成型となり、それまでグリル部とバンパーが分離していたものとは大きく印象が変わりました。同時にリアのバンパーも変更されています。ただしこれは部品が変更となっただけでモデルチェンジではなく1996年まで58MCとして生産されています。外観が大きく変わったことでモデルチェンジしたとマニアに捉えられてしまったようです。2017.07.19 13:06
中型のタンクカバーバスには車体のどこかしらに燃料を入れておく容器が必要で、天然ガス(以下:CNG)を燃料とする場合も当然容器が必要となります。ただ、通常の軽油燃料とは違いタンクの形状に自由がなく、充填するには都市ガスなどと同じように円柱型のボンベが必要になります。CNG車が初めて登場した時のバスはツーステップバスが主流であり、床高い分床下のスペースに余裕ができるため床下格納となっていました。しかしやがて低床化によって床の地上高は低くなり、床下スペースの確保が難しくなったことにより屋根の上に搭載されるようになります。 当然ボンベと配管をむき出しで設置する訳にはいかず、保護するためのカバーを被せるわけですが各メーカーや車種で様々な形状があるわけです。西日本車体工業では大型車中型車ともに数度に渡り形状変更が行われており、今回は中型の3タイプを紹介していこうと思います。2017.06.08 12:14
B型のタイプII 関東自動車編日デ中型ロングのJPシリーズには様々なボデーバリエーションが用意されていましたが、その中でも当時の京王帝都電鉄へ納入されたB型は異彩を放っていました。これはB型に日デオリジナルスタイル(西工SR)のバンパーをつけたもので、マニアの間では「京王顔」と呼ばれ親しまれているものです。正式な名称は58MC「Bスタイル タイプII」当初、京王帝都電鉄向けの専用仕様でしたが、後にカタログに掲載され他社でも選択可能となり、京王以外では1996年に大阪の水間鉄道と大川自動車。1997年(96年度)に横浜市交通局がKC-JPで納入されています。また、中型のRMでもごく少数納入されており、神戸電鉄(当時)と大阪市交通局が該当します。余談ですが、当時の京王は製造メーカーに対し一定の影響力を有していたようで、この京王顔以外にも富士重工R18型E(8E)で通常よりも丸みを帯びたフロントマスクになっているものや、「チョロQ」で親しまれる日デのRNも京王からの注文によるものです。西日本鉄道が電車代替バス用としてU-JM210GTNをストレッチして製造していたものを1993年スペースランナーJPとして日産ディーゼルから正式に販売が開始されてから2年後、1995年に京王顔は初めてその姿を現しました。 当時首都圏では初めてとなる中型ロングとして納入されました。 そしてこれは西工製バスが本格的に首都圏へ進出する契機となりました。(西工製バス自体はP-RB80Gが横浜市交通局に納入された実績を持つ)また、日デから正式に販売されることとなり、富士重工のR18型E(8E)が選択できるようになったことから、ヒットセラーとなり排気ガス規制強化によってモデルチェンジしたKC-JPでは納入先のおよそ8割が首都圏事業者となりました。さて、この「京王顔」であるB型タイプIIは先述の通り58MCであり、横浜市交通局の例を除いてすべて1996年以前の製造であるため、当然経年により代替されています。 今でこそ京王中古はそこら中溢れかえっていますが、当時はそれほど出回ることもなく特に全体数の少ない西工製は国内移籍と輸出が半々とあまり多くありません。 KC-JPに至ってはすべて輸出か解体処分となっています。また、大阪の水間鉄道と大川自動車に在籍していたタイプIIも輸出されており、現存車の希少性がお分かりいただけるかと思います。そんな中、栃木県に本拠地を置く関東自動車では西工富士ともに京王及び横浜市から多数が移籍している貴重な例であり、かつ本家京王の西工U-JPとしては国内に残存する個体すべてが集約されている事業者になります。 本項ではその「京王顔」を大まかなバリエーションとして3台を紹介するとしましょう。2017.05.27 19:01
西武バス KL-UA272KAMUA460から富士重で導入が続いていた日デのフルフラットノンステップが2003年、ついに西工製でも登場しました。この西工製UA272(Nタイプ)は2回に分けて計10台が導入されましたが、並行してUA452(Gタイプ)も導入されており結果的にUA452へ1本化され、それ以降導入されることはありませんでした。西工UA272の納入先としては京都市交通局に続き2社目です。また東日本では唯一の納入例でした。 2015年に全車退役し、鹿児島交通へ移籍しています。型式には全車「改」がつきます。2017.05.05 18:43
西武バス KL-UA452KAN(CNG)西武バスでは2001年から2006年まで、年によって導入数にばらつきがあるもののCNGの大型路線車を毎年導入していました。2001年から2003年までは富士重で、2004年以降は富士重の撤退により自動的に西工になりました。西武バスは地域によって細かく仕様を分けており、西工でも当然様々な仕様で納入されています。CNG車では合計9台6形態が導入され、活躍していましたが2017年3月に全車退役となりました。筆者は残念ながらすべてを撮影することはできませんでしたので、本稿では4台を紹介していきます。2017.05.05 17:57
1台限りのV8日産ディーゼルが1995年から2000年にかけて販売した平成6年排気ガス規制適合のUA521系はV8エンジンであるRF8型を搭載した高出力車です。販売数はそれほど多くなく、40台あるかないか程度ですが、ほとんどが富士重工のR17型(7E,8E)で西工製がいるという話はほとんど聴きません。というのも、実はUA521系を架装した西工車はこの世に3台しか存在しておらず、その内2台は医療防疫車や移動教室車など特殊なものであるためです。では残りの1台はなんなのか。それが本項で紹介する車両です。2017.05.04 18:42